ソウルのヨンナムドンを歩いていると、少し奇妙な光景に出くわすんです。
改造されたカフェのガラス越しに、若い人たちが甘いものを撮っている。そのすぐ隣の、赤と金の色あせた看板の下では、古い中華料理店が八角と熱したピーナッツオイルの匂いを漂わせている。コンクリートの新しさと、油の匂いの古さが、同じ路地に折り重なっているんです。
私がここであなたに味わってほしいのは、最新のスイーツじゃなくて、分厚い小麦粉の生地と豚の脂のほうです。そこには、ソウルで生き延びてきた人たちの履歴が、ぎゅっと詰まっています。
日本の横浜中華街を思い浮かべると、広東や福建の、海鮮や米を中心とした料理をイメージしますよね。でも、ソウルに根を下ろした「華僑」と呼ばれる中国系移民の人たちは、山東省の出身が多いと言われます。
山東は冬が厳しい、中国北部の小麦の土地です。だから料理の軸も、小麦。薄い皮の繊細さというより、パンみたいに分厚くて、噛みごたえのある生地が出てくる。生きるための、力強い食べ物です。
もともとソウルの華僑の中心は明洞あたりにありましたが、街の値段が上がっていくなかで、コミュニティの拠点だった中華学校が西側のヨニドンへ移りました。裕福な商人はヨニドンに落ち着いていく。一方で、厨房で働く料理人や皿洗い、配達員みたいな人たちは、家賃の安かった隣のヨンナムドンに住み着いていったんです。地上に線路があった頃のこの辺りは、うるさくて、じめっとして、とにかく安かった。
彼らがここで小さな中華料理店を開いたのには、切実な理由があります。60年代から70年代にかけて、韓国では外国人の就職や経済活動、不動産取得が強く制限された時期がありました。社会の隅に追いやられた人たちが、生き残る手段として選びやすかったのが、家族で回せる小さな食堂だったんです。自分たちの文化を、台所でお金に換えるしかなかった。
だからこそ、ヨンナムドンの迷路みたいな路地裏で作られる料理は、山東の手触りを色濃く残しています。
もし一緒に老舗に入ったら、まずはマンドゥ、つまり餃子を頼んでみてください。日本の餃子みたいに薄い皮を焼いてパリッと、じゃない。皮が分厚くて無骨で、歯を押し返すような弾力があります。それを蒸したり茹でたりして噛み締めると、中から豚肉とニラの重たい肉汁がどっと出る。洗練というより、冬を乗り切るための味です。
それから、ナスの唐揚げ。大きく切ったナスに衣をつけて高温の油で揚げて、表面がガラスみたいにパリッと砕ける。中は熱々でクリーミーで、そこにニンニクの効いた甘辛いソースがねっとり絡む。あれは、食感の記憶として残ります。
ただ、メニューを眺めていると、不思議なことにも気づきます。山東の店なのに、「台湾風」と書かれた料理が混ざっていることがあるんです。
これは、冷戦の外交が落とした影でもあります。長いあいだ韓国は中国大陸ではなく台湾政府を承認していて、韓国に暮らす華僑の多くも、ルーツとは別の国籍扱いのなかで暮らさざるを得なかった。移動や権利が安定しないまま、生活だけが続いていく。そういう時間のなかで、山東の厨房に台湾の味が少しずつ入り込んでいったんです。メニューは料理のリストというより、その人たちがくぐってきた制度の地図みたいに見えてきます。
今もこの路地の片隅で、年配の店主が山東訛りの韓国語で客に声をかけながら、鍋を振っている。赤いレンガの奥から、粉と油の匂いがふっと漏れてくる。その匂いが、ヨンナムドンの新しさの下に残っている古い時間を、ちゃんと教えてくれるんです。
