正殿の前に立つと、まず「高さ」じゃなく「長さ」に圧倒されます。大地にピタッと張り付くように、建物が横へ横へと伸びている。その長さは101メートル。建物というより、重たい地平線みたいに見えるんです。
そしてこの長さは、デザインの奇抜さというより、この国が「時間」をどう扱ったか、その形そのものでもあります。
伊勢神宮の式年遷宮を知っていると、余計に驚くかもしれません。伊勢は、20年ごとに建物を新しくして、時間をすっと洗い流す。巡る時間の中で、神様には常に新しい器が用意される。
でも、朝鮮王朝を支えた儒教の世界では、時間は基本的に巻き戻りません。過去から現在へと一直線につながり、今の王の正当性も、初代から途切れず続く祖先との連なりによって支えられる。だから祖先を祀る場所も、「更新」ではなく「蓄積」になっていくんです。
ただ、現実の問題が起きます。王は、次々と亡くなる。
1395年に正殿が建てられたとき、部屋の数は7つでした。礼制に沿った、当初の規模です。その部屋に、王族の魂が宿るとされた「神主」という木の位牌を納めました。
ところが王朝が続けば、当然それでは足りなくなる。けれどここでは、左右対称と厳格な様式が強いルールでした。気まぐれに別館をつけ足すわけにはいかなかった。
そこで建築家たちは、伝統的な木造の仕組みを使って、同じ姿のまま横へ伸ばせる増築のやり方を選びます。部屋が足りなくなるたびに、西側の壁をいったん開き、新しい石の土台を敷いて、同じ寸法の柱を立て、屋根を横に伸ばし、また壁を閉じる。そうして、少しずつ同じ部屋を継ぎ足していったんです。
1608年には11部屋になり、1726年に4部屋、1836年にまた4部屋が加えられました。もし王朝がさらに長く続いていたら、と考えたくなるくらい、この仕組みはどこまでも増えていける形でした。
ただ、怖いのは「亡くなった順に全部ここへ足す」だけではなかったことです。
原則として、正殿に祀るのは、今の王から近い世代の祖先に限られ、それより古い王は隣の永寧殿へ移されていきます。ところが、建国の王や、ハングルを作った世宗のように、国にとって特別だと認められた王たちは、「不遷位」としてここに残されました。移されない、という特別扱いです。
歴史が積み重なるほど、「残すべき祖先」が増えていく。だから正殿は、横へ横へと押し広げられていった。
いま目の前に並ぶ、19の扉がつくる途方もない長さは、ただの木と瓦の集合じゃありません。誰を記憶し、誰をここに留め続けるのか。その決断の積み重ねが、建物の長さとして現れているんです。
