地下鉄に乗っていると、ちょっと不思議な光景に出くわすんです。2017年にできたソウルの牛耳新設線。車内を見渡すと、頭の先からつま先まで本格的な登山ウェアで固めたおじさん、おばさんたちがずらっといる。分厚い手袋に、トレッキングポール、いかつい登山靴。ここはエベレストじゃなくて、ソウルの地下鉄なのに、って思うんだけど——あとで、その格好がいちばん合理的だって分かります。
駅を出ると、北漢山は近い。最初は木漏れ日の道で、週末の散歩みたいに始まる。でも木が切れて、白雲台の下まで来た瞬間に、風景の素材が変わるんです。土の山じゃない。巨大な花崗岩の塊が、どんと立ちはだかる。
北漢山の岩は、長い時間をかけて表面が剥がれ、丸く、そして広い面で露出してきた花崗岩だと言われます。問題は、その上を「世界有数の過密さ」で人が歩くこと。年間で何百万人という靴底が、同じルートを磨き続ける。すると岩の表面は、だんだん大理石みたいにツルツルになっていくんですよ。濡れていたらなおさらで、普段履きのスニーカーだと、足を置いた瞬間に体が持っていかれる感覚になる。
ここで、地下鉄で見かけた装備の意味が腑に落ちる。あの登山靴は、濡れた岩でも粘るようにグリップする配合のソールになっていて、平らな道のためというより、花崗岩の斜面のために選ばれている。分厚い手袋も、ただの防寒じゃない。
だって、最後はワイヤーに頼るしかない区間があるから。岩肌には支柱が打ち込まれていて、そこに太いケーブルが張られている。手すりというより、登攀の道具に近い。クライミングみたいに確保してもらえるわけじゃなくて、自分の手で握って、自分の体を上に運ぶ。鋼鉄はささくれていることもあるから、素手で掴み続けたら手のひらがもたない。地下鉄の時点で手袋をしていた理由が、ここで全部つながるんです。
そしてもうひとつ、過密さは危険を増幅する。一人ひとりの動きは慎重でも、人が多いと流れが止まる。斜面で立ち止まって待つ時間が長くなるほど、腕は張って、足場は怖くなる。岩が「滑る」だけじゃなく、「滑る場所で足を止めさせられる」こと自体が、北漢山の難しさなんだと思う。
ようやく上に立つと、風の向こうにソウルの街が広がっている。漢江が細い線みたいに見えて、ガラスの高層ビル群が霞む。岩の上にいるのに、都市のど真ん中にいることを、景色が突きつけてくる。
そこで息を整えていると、岩陰から小さな猫が出てきたりするんです。人に慣れた目で、食べ物の気配だけをちゃんと見ている。しばらく見つめ合って、それからこちらは思い出す。あのワイヤーと、あの磨かれた斜面を、今度は下りなきゃいけないんだって。
