ねえ、東京の高尾山に登ったことある?あそこは、山全体が信仰の道になっているでしょう。でもソウルの北漢山、プカンサンで花崗岩の登山道に足を踏み入れると、空気が少し違う。景勝地に入るというより、「防衛のために設計された山の内部」に入り込む感覚があるんだよね。
その発想の根っこには、1636年の冬の記憶がある。清の騎兵隊が半島を南下して、朝鮮王朝の王は南の山城に逃げ込むしかなかった。そこで45日間、凍える寒さと飢えに耐えた挙句、王は喪服を着て城を出て、敵の皇帝の前で冷たい土に何度も額をこすりつけて降伏した。歴史に刻まれた、あの屈辱。その数十年後、別の王が首都の北にそびえる険しい岩山を見上げて決意するんだ。「あんな思いは、もう二度とごめんだ」って。
そうして1711年に大規模に築かれたのが、峰々を縫うようにめぐる北漢山城の城壁です。全長は12キロを超える。きれいな円を描くんじゃなくて、切り立った尾根の端を追いかけるように、うねうねと伸びていく。垂直に落ち込む崖は、そのまま天然の壁として使う。要塞を山に「置いた」んじゃない。山そのものを、防御のかたちに「編み直した」んだ。
この築城には、全国から動員された僧侶たちも深く関わったと言われている。急斜面に巨大な花崗岩を運び上げ、短い期間で壁と門を立ち上げていく。その必死さを想像すると、城壁の石がただの景色に見えなくなるんだよね。
歩いていて面白いのは、登山道そのものが、防衛の発想を残しているところ。大きな門に向かう道が、息が切れるほど急な細い谷へ吸い込まれていく場所がある。単に「近道だから」じゃない。敵を狭い場所に誘い込み、上から攻撃できるように地形と通路を組み合わせる——そういう考え方が透けて見える。気づくと、肘の横に古い銃眼みたいな穴があったりして、背筋がひやっとする。
尾根では、「暗門」と呼ばれる小さな隠し扉にも出会うよ。身をかがめないと通れない抜け穴で、包囲された時に密使を出したり、物資を出し入れしたりするためのもの。ところが今、その石のアーチの影は、絶好の休憩スポットになっている。アルミホイルを開ける音、キンパのごま油の匂い、甘いお酒の気配。かつて息を潜めた場所が、今日はいちばん生活くさい。
そしてこの城壁は、結局一度も大きな戦火を交えなかった。清の軍隊は、二度と攻めてこなかったんだ。僧兵が待ち、武器庫の矢に埃が積もっていっても、決戦の日は来ないまま、壁だけが残った。
外国の軍隊を阻むために作られたこの防衛の仕組みは、いまや別のものに「占領」されている。息の詰まるような都市生活から、ほんの少し抜け出したい何百万人ものソウル市民が、毎週のように、この未戦の要塞を歩いているんだ。
