釜山の地下鉄、温泉場駅を降りてメインストリートの喧騒を抜け、一本裏の細い路地に入ったら、少しだけ視線を上げてみてください。チカチカ光るプラスチックの看板のすぐ上に、古い日本旅館の黒い瓦屋根が、ひっそりと突き出しているのに気づくはずです。
初めてここを歩く日本の旅行者は、ちょっと不思議な感覚に陥るかもしれません。道の幅や、古い水路に沿って緩やかにカーブする路地の造りが、どこか九州の温泉街みたいな錯覚を起こさせるんです。
それもそのはずで、この街の骨格には、日本統治期の開発の痕跡が残っています。
もともと東莱は、朝鮮王朝の時代から湯治の場として知られてきた土地でした。でも20世紀初頭、釜山に入ってきた日本の資本が、この一帯を温泉リゾートとして整えていきます。港と東莱を結ぶ交通も整備され、旅館や庭園がつくられ、景観も日本式に寄せられていったと言われます。
1945年以降、街の持ち主は変わりました。でも、建物や町割りは簡単には消えない。日本らしさを薄めながら、別の用途で使い続ける。そんな“上書き”が、あちこちで起きました。
繊細な木造の正面にコンクリートの壁を貼り付けたり、木格子の上からネオンサインを打ち込んだり。静けさを売りにする温泉というより、みんなで賑やかに過ごす公衆浴場の町へ、体温ごと塗り替えていった感じです。
その上書きが極まった象徴が、街の中心にそびえる巨大なガラスドーム、「虚心庁」。かつての旅館の跡地周辺に、後の時代、大手企業グループが大規模な温泉施設をつくり、ここは完全に“大衆のレジャー”の中心になりました。
それでも、街の裏側には、古い骨格が息づいています。カラオケ店やモーテルが並ぶ一角で、派手な塗装や点滅するLEDの隙間から、古い木組みがふいに顔を出す。道がゆるくカーブしている場所では、かつての線路や道路の名残を、足が先に思い出す。
足元から湧き出すお湯だけは、昔から変わっていません。ただその上で、瓦とネオンが、いまも同じフレームに収まっている。それが東莱の街並みなんです。
