開場中

行く前に知っておくこと

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宮殿を一つだけ選ぶなら?壮大な規模と初めてのソウルらしさなら景福宮、静かな境内と別チケット制の後苑なら昌徳宮です。

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韓服を着れば入場無料。門の東側にレンタル店が並び、多くは朝9時前に開きます。

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守門将交代式は10:00と14:00、光化門前で約20分。到着時間を合わせるのがおすすめ。

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無料の英語定時ガイドは11:00、13:30、15:30出発。 10人未満の個人客は予約不要です。出発前に集合場所へ。 公式ガイド日程を見る ›

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地下鉄3号線・景福宮駅5番出口 — 出るとすぐ宮殿の敷地です。 NAVERマップで開く ›

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この場所の物語

ソウルの中心部、ガラス張りのビル群が途切れた先に広がる朝鮮王朝の正宮「景福宮(キョンボックン)」。北岳山(プガクサン)の稜線を背負うように建つ広大な宮殿跡では現在、19世紀当時の姿を取り戻すための息の長い復元プロジェクトが続いています。淡い色合いの伝統衣装(韓服)を身にまとった見学者が行き交う華やかな空間ですが、その敷地には、王たちの栄華、幾度もの徹底的な破壊、そして国家の威信をかけた執念の再建という激しい記憶が層を成して沈んでいます。

1395年、朝鮮王朝の創始者である李成桂(イ・ソンゲ)によってこの宮殿は建てられました。設計を任された儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)は、中国の宮殿に見られるような黄金の装飾を退け、儒教的秩序と道徳的尊厳を体現する厳格な空間を選択します。北の北岳山から南の南山へと気が下り、東に清渓川(チョンゲチョン)が注ぐ。風水(プンスチリ)の理にかなった、地のエネルギーが結集する立地が緻密に計算されました。

15世紀、世宗(セジョン)大王が宮殿内に学者を集めた「集賢殿」からは、1443年にハングル(朝鮮語の文字)が秘密裏に創製されるなど、独自の文化と科学が花開きます。しかしその黄金期は、1592年の豊臣秀吉による朝鮮出兵で灰燼に帰しました。王が都を捨てて北へ逃れる大混乱の中、宮殿は全焼。火を放ったのが日本軍か、奴隷身分の帳簿を燃やそうとした民衆かは今も謎ですが、結果として景福宮はその後270年ものあいだ、首都の中心にありながら草の生い茂る廃墟として放置され続けます。

再び槌音が響いたのは1867年のこと。失墜した王の権威を取り戻すため、興宣大院君(フンソンデウォングン)が330棟・5700室超という途方もない規模で宮殿を再建します。しかし、この巨大プロジェクトは結果として国家財政を破綻させ、重税と悪性のインフレという代償を民衆に強いることになりました。

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