本文へスキップ
開場中

行く前に知っておくこと

⚖️

宮殿を一つだけ選ぶなら?静かな見学と後苑なら昌徳宮です。後苑は別の時間指定券が必要です。壮大な規模と初めてのソウルらしさなら景福宮を。

旅の起点

スポットの物語 · 2チャプター · 音声未公開

チャプターを選ぶ

  1. まずはこちら

    王たちが最も長く暮らした本当の家

    朝鮮王朝の王たちが生活の拠点とした、生活の時間が積もる王宮。1980年代まで皇族が暮らした西洋の気配や、敷地の奥に広がる広大な森の庭が魅力です。

    音声は未公開 · 文字起こしあり
    文字起こしを読む

    ソウルの王宮というと、一番大きな景福宮(キョンボックン)を思い浮かべる方が多いかもしれません。でも、もし一つだけじっくり見るなら、ここ昌徳宮(チャンドックン)がおすすめです。

    理由はシンプルで、朝鮮王朝の王様たちがいちばん長く暮らした、「本当の家」がここだったから。観光のための舞台というより、生活の時間が積もった場所なんですね。

    しかも驚くのが、1980年代まで最後の皇族たちが実際にここで暮らしていたこと。伝統的な空間の中に、ガラス窓や西洋家具の気配がすっと混ざっている部屋もあります。

    そして奥には、敷地の大部分を占める森の庭が広がっています。その呼び名も含めて、ここから先が昌徳宮のいちばん面白いところです。

  2. 自然をねじ伏せない引き算の王室庭園

    自然のかたちにそっと東屋を差し込む、抑制された美学の森。宇宙観を映す四角い池と丸い島は、王が官僚たちを試し、政治を動かす舞台でもありました。

    音声は未公開 · 文字起こしあり
    文字起こしを読む

    六義園のような大名庭園を歩いたり、京都の枯山水を眺めたりするとき、私たちは人間が自然をきれいに「型」に押し込む瞬間を見ます。枝ぶりは整えられ、海は砂利に置き換えられ、山は一つの石に縮められる。美しい。でも、その美しさは、自然をこちらの都合で止めることでもあります。

    ところが昌徳宮は、門をくぐって奥の森に入った途端、その価値観が反転します。

    日本語ではロマンチックに「秘苑」や「シークレット・ガーデン」と呼ばれることが多いんですが、宮中ではもっと素っ気なく「後苑」——奥の庭、と呼ばれていました。ここは、巨大な人工湖を掘ったり、山を盛ったりして景色を作り替える場所ではない。風水の考え方も背景にありつつ、谷の自然のかたちを見つけて、そこに東屋や小さな場を、そっと差し込む。王は森を支配する神というより、季節のリズムにお邪魔する「客人」だった、という感じがします。

    その哲学がいちばん露わになるのが、芙蓉池という池のほとりです。池はきりっと四角い。でも真ん中の島は、丸い。「天は丸く、地は四角い」という古い宇宙観が、そのまま置かれている。枠組みは人工的なのに、周りの森は野のままです。季節ごとに葉が増え、落ち、倒木が朽ちていく気配まで含めて、景色が更新され続ける。

    水面を見下ろすように建っているのが、芙蓉亭。1792年に建てられた東屋で、上から見ると漢字の「亞」の字の形をしています。柱の一部は水際にぐっと近く、建物というより、岸辺にふわりと寄りかかった木の花のように見えることがあります。

    ここで効いてくるのが、「借景」のやり方です。扉は外側に跳ね上げて、軒先のフックに引っ掛けられる。持ち上げた瞬間、建築が主張を引っ込めて、柱だけが森を縁取る額縁になる。床に座って、扉を開け放つだけで、森そのものが一枚の絵になるんです。景色を見せる装置が、あまりに上手い。

    そして、この“装置の上手さ”は、ただの鑑賞で終わりません。政治にもつながっていきます。

    この一帯を整えた第22代国王の正祖(チョンジョ)は、父が悲劇的な最期を遂げたことで知られ、宮廷には敵対する派閥も多かった。だからこそ彼は、森の奥に宙合楼(チュハプロ)という学問と文庫の場を置きます。奎章閣の学者たちが集い、政策を研究し、人材を登用していくための拠点でもあったと言われます。比喩的に言えば、王の手元で動く小さなエンジンルームみたいな場所です。

    さらに正祖は、この景色の舞台で、官僚たちを試すのも得意でした。芙蓉池の周りで宴を開き、盃を浮かべたり、灯りを使ったりして、限られた時間で漢詩を作れと命じる。うまくできなかった者は、罰ゲームのように小舟で島へ移され、宴が終わるまでそこに残された——そんなふうに伝えられています。四角い池と丸い島が、宇宙観であると同時に、権力の配置図にもなる。そのヒリつきが、この場所には似合ってしまう。

    芙蓉池を過ぎて、さらに谷の奥へ進むと、建築はますます控えめになります。玉流川というエリアです。ここで王たちがやったのは、巨大な天然の花崗岩を見つけて、その表面に浅い溝を彫り、湧き水をそのまま流しただけ。岩肌には文字が刻まれ、あとは水が勝手に仕事をする。

    豪奢さを証明するために自然をねじ伏せるのではなく、自然の中に身を置きながら、手を出しすぎない。その自制心が、ここではいちばん贅沢に見えます。

写真で見る

この場所の物語

ソウルの中心部にある昌徳宮(チャンドックン)は、朝鮮王朝の実質的な本拠地です。正宮である景福宮の離宮として建てられましたが、歴代の王たちは広大で直線的な正宮よりも、自然の地形に沿って造られたこちらを好んで暮らしました。1997年にはユネスコ世界文化遺産に登録。敷地の半分以上を占める広大な庭園の深い緑と、王族たちの生々しい権力闘争や王朝の終焉という歴史の体温が、当時の建物の佇まいとともに同居する場所です。

この宮殿の始まりは、自らが流した血からの逃避でした。1392年に建てられた景福宮で、後の第3代国王・太宗(イ・バンウォン)は王座に就くために異母兄弟を惨殺しています。しかし、自らの血族の血が染み付いた厳格な空間に住むことに耐えられなくなった彼は、1405年に東側の自然の中に新しい宮殿を造らせました。それが昌徳宮です。

風水地理の思想に基づき、背後にある白岳山の尾根や谷を平らにして自然を支配するのではなく、地形の起伏に建物を寄り添わせる非対称な配置には、太宗の安らぎへの渇望が表れています。

1592年の文禄の役では、日本の侵攻と王の逃亡に怒った民衆によって宮殿は焼け落ちてしまいます。しかし1610年の再建以降、惨劇の舞台となった景福宮が「不吉だ」として廃墟のまま放置されたため、昌徳宮は約270年間にわたり朝鮮王朝の実質的な正宮として機能することになりました。

このスポットが入ったSeoulプランを探す公開中のルートから、自分の旅に合うものを選べます。 ›