ねえ、ちょっと想像してみてください。1995年のソウル、ホンデの街角。湿っぽくて、換気の悪い、ぎゅうぎゅう詰めの地下室です。
90年代の東京ならライブハウスでインディーズが鳴っていても当たり前。でも、同じ1995年のホンデでは、地下の小さなバーでエレキギターをアンプに繋ぐこと自体が、文字通りの「犯罪」だったんです。
なんでそんなことになっていたのか。背景にあったのは、軍事政権時代の名残とも言える厳格な制度でした。お金のない若者たちが開いた小さなクラブは、現実的には「一般飲食店」として登録するしかない。でもその枠だと、酒やご飯は出せても、生演奏やダンスは認められない。
じゃあ、ライブができる枠はあるのか。形式上はある。でもそれはキャバレーやダンスホールと同じ分類に入れられ、税や立地の条件も重くて、学生街の小さな地下店が目指せるものじゃなかった。
だから、1994年にオープンした「クラブ・ドラッグ」のような伝説的なハコも、法律上はただの飲食店。Crying NutやNo Brainみたいな初期のパンクバンドが、汗だくの小さなステージに立って、客がモッシュするたびに、彼らは線を越えていたわけです。
警察のガサ入れは、日常の風景でした。バンドが激しいパンクロックをかき鳴らしている。と、突然見張りが叫ぶ。すかさずアンプの電源を引っこ抜き、店内の明かりがパッと点く。さっきまで暴れていた観客は、一斉に床にペタンと座り込んで、ただ静かに安いCASSビールを飲んでいるふりをする。異様に人が多くて、耳鳴りがするほど静まり返った地下室で。
それでも警察はドカドカと踏み込んできて、オーナーに罰金を科し、時には営業停止を命じました。
当時のホンデの地下室に充満していたエネルギーが、なぜあんなにもビリビリしていたのか。「メジャーデビューできるか」なんていう話じゃない。「今夜、オーナーが連れていかれるかもしれない」という緊張感です。
Crying Nutに「マルダリジャ」、日本語で「馬を走らせろ」という曲があります。サビで「タクチョ!黙れ!」と絶叫する、韓国パンクのアンセム。あれは単なる反抗期じゃありません。民主化のあとも残っていた古い線引きや道徳観に、押しつぶされそうな世代の本気の叫びでした。
やがて、犯罪者扱いされることに耐えきれなくなったクラブのオーナーたちは立ち上がります。「ライブクラブ文化協会」を結成し、署名を集め、抗議ライブも行い、政治家も巻き込みながら、法廷闘争を重ねていった。
彼らの言い分は明快でした。ある種の音楽は黙認されるのに、パンクのトリオが演奏した途端に「違法」になる。それは文化の扱いとして不公平で、表現の自由の問題じゃないか、と。
そして1999年、ついに制度が動きます。一般の飲食店でも、生演奏が公式に認められる方向へと改められ、インディーズのライブハウスは、ようやく「最初から犯罪扱いされる場所」じゃなくなった。
今、ホンデを歩くと、地下から重低音が当たり前のように響いてきます。その「当たり前」は、誰かが勝ち取ったものなんです。
もし街角で、地下から漏れ聞こえるディストーションのギターに足が止まったら、思い出してみてください。そのコードを一発、ただ鳴らすために、どれだけの人が目を盗み、線引きと戦ってきたのかを。
