イントロで話した、あの看板のない扉。あれが、どうして“上”にあるのか。ウルチロは、その答えがいちばん面白い街です。
ポイントは、雰囲気じゃなくて、ほとんど物理の話なんです。
このあたりの古いビルは、もともと重い機械を高い階に置くことを想定していませんでした。大型の印刷機や、金属を削る機械みたいなものは、結局、1階に置くしかない。そうなると、1階の取り合いが起きます。家賃も上がるし、大家も借りる側も、とにかく1階の面積を稼ぎたくなる。
そのしわ寄せが、どこにいったかというと——階段なんです。
ウルチロの階段は、階段というよりハシゴに近い。足場は狭くて、傾斜も45度近い。重い荷物を上に運ぶことなんて、最初から考えていない造りです。
だから、縦にきれいな階層ができました。1階は金属加工や印刷みたいな、重くてうるさくて、昼の仕事。2階は倉庫や小さな事務所。その上、3階や4階は、長いあいだ使いにくい空き部屋になりやすかった。
そこに入り込めたのが、若い店でした。上は家賃が安い。でも、上にあるだけで“店としてのコスト”が一気に増えるんです。
まず、搬入が地獄。階段がきつすぎて、業務用の配達は断られることもある。ゴミを下ろすだけでも大仕事です。それに、建物の外に大きな看板を出して、穴を開けて、というのも簡単じゃない。1階で働く工場の人たちにとっては、自分たちの仕事場が優先だからです。
だから案内は小さくなる。A4の紙に矢印ひとつ、郵便受けにテープでペタッと貼る。あとは、知ってる人が、自分の足で探して登るしかない。
そして有名なのが、「氷運び」の話です。階段が急で狭すぎて、氷の配達員が4階まで運ぶのを断る。だから開店前、きれいに身なりを整えたバーテンダーが自分で1階まで降りていって、冷たい20キロの袋を肩に担ぎ上げる。あのハシゴみたいな階段を、一段ずつ。毎晩。
