ウルチロの路地裏って、ちょっと信じられないくらい狭いんです。肩を斜めにしないとすれ違えないような道幅で、カフェに向かう若い旅行者と、サビだらけの手押し車を押すおじさんが、ギリギリで交差していく。
でも、その手押し車に積まれているのは、ヴィンテージの飾りなんかじゃありません。削り出されたばかりで、まだ熱を持っている真鍮の歯車なんです。
ソウルの人たちはよく、「設計図さえあればウルチロで戦車が作れる」と言います。大げさな決まり文句に聞こえるけど、この街全体が、巨大なひとつの“解体された工場”として機能している。そう思うと、妙に腑に落ちるんです。
ただ、普通の工場とは進化の仕方が違います。ウルチロを歩いても「なんでも作ります」という大きな会社は見つかりません。その代わり、アクリル板を切るだけの小さな工房がある。隣には、バネだけを巻く職人。向かいには、メッキ加工の店。異常なほどの細分化なんです。
じゃあ、どうやって“戦車みたいなもの”を作るのか。そこで登場するのが「ランナー」と呼ばれる手配師たちです。彼らの頭の中には、このカオスな街の地図が入っている。
たとえば、ハードウェアのスタートアップを立ち上げた若者が、新作の図面を持ってやってくる。量産じゃなくて、まずは少量で、早く試したい。そんな部品です。
ランナーは図面を見て頷くと、その足で路地を歩いて仕事をつないでいきます。金属問屋で材料を買い、すぐ近くの職人に渡し、加工が終わったら手押し車に乗せて、また次の店へ。ベルトコンベアの代わりに、人間が路地を駆け回っているんです。しかも、全部が徒歩圏内だから速い。夕方には、ちゃんと形になって戻ってくる。
そして、この信じられないようなモノづくりの中心にいるのが、シボリの職人たちです。ここが、ちょっと不思議で、どこか切ないポイントなんですが。シボリ——つまり金属を回転させながらへらで押し延ばしていく、あの加工を、そう呼ぶ職人がいるんです。
60代や70代の職人たちが、恐ろしいスピードで回転する金属の円盤に向かい、長い棒を脇に挟んで、自分の体重をテコのように使って鉄や真鍮を曲げていく。一歩間違えれば金属が凶器になって飛んでくる、ものすごく過酷な作業です。
彼らの口から飛び出すのは、日本統治時代の名残がある現場の言葉。紙ヤスリは「ペッパ」、ネジの溝は「ヤマ」、傷は「ギス」。ヒップジロと呼ばれる表側で写真を撮る人たちがいる、そのすぐ裏で、別の時間が続いている。身体の感覚と言葉ごと、今の仕事に使われ続けているんです。
