全州の街歩きで、絶対に立ってほしい場所があるんです。それは「オモッキョ」という、大通りにかかる歩道橋のど真ん中。
そこからまず、後ろを振り返ってみてください。眼下にはあの有名な全州韓屋村が広がっています。伝統的なグレーの瓦屋根が波のように連なる、息を呑むような景色。でも実はあれ、2000年代以降にしっかり手を入れて整えられた、言ってみれば理想化された朝鮮時代の風景でもあるんですよね。キラキラした化繊のレンタル韓服を着た若者たちが、チーズやイカの串焼きを食べ歩きしている、あの場所です。
じゃあ、くるっと前を向いて、橋の反対側にそびえる急な斜面を見てみてください。そこにあるのが「ジャマン壁画村」。谷底のテーマパークとは、経済的にも社会的にも、完全に真逆の世界です。
この丘は「タルトンネ」と呼ばれてきました。直訳すると「月の村」。その美しい名前の裏側には、もっと切実な事情があるのですが、それは石碑の章で辿ります。とりあえず今はこう思っておいてください。ここは長いあいだ見向きもされなかった急斜面で、谷底に何億円もの観光予算が落ちていく一方、山の上のジャマンはボロボロに朽ちていきました。若者はソウルへ去り、残されたのはお年寄りばかり。韓国の都市開発のセオリーで言えば、こういう場所の運命は一つしかありません。強制立ち退き、ブルドーザー、そして高層アパートの建設です。
そんな中、この村は予想外のカウンターパンチを放ちます。橋の向こうを流れる巨大な観光客の波を、なんとかこっちに引き込めないか。そう考えた人たちが始めたのが、村中を壁画で埋め尽くすことでした。主導は市の事業として、アーティストや住民と一緒に進められたと言われています。“なぜ日本のあの作品なのか”は、解禁の時代背景と一緒に次の章で、もう少し詳しくお話ししますね。
とにかく、この坂は「壁みたいに急」です。そこをわざわざ観光客に登らせるには、強烈なコントラストと、一瞬で目を引くSNS映えが必要だった。そして、作戦は見事に成功しました。若者たちがこぞって写真をネットに上げ始めたことで、ジャマンは一躍有名になり、市も簡単にはブルドーザーを送り込めなくなったんです。壁画が、街を守る盾になった。
今ジャマンの階段に立っていると、すごくシュールで、いかにも現代の韓国らしい光景を目にします。時代考証なんかお構いなしの派手な王族の衣装を着たカップルたちが、かつてのスラム街の路地をハアハア言いながら登ってきて、壁の前でセルフィーを撮っているんです。
この村が、なぜこんなサバイバル戦術を必要としたのか。その背景には、思っている以上に深い歴史の層があります。でもそれは、この後の章に譲ることにしましょう。とりあえずあなたは今、橋の上に立って、二つの世界を同時に見ている。それだけで、もう十分この村の面白さに触れていますよ。
