高級リゾートホテルの庭園を、土埃と汗にまみれたハイカーが横切っていく。済州島の「オルレ」には、そんな不思議な場面が現実にあります。
2000年代、島の海岸線では開発が加速していきました。崖沿いの特等席が塀で囲われ、海がいちばん美しく見える場所ほど、「宿泊客だけの景色」になっていく。そんな流れに対して、静かに、しかしはっきりと異議を唱えたのが、島をぐるりと歩く道でした。
道は、新しく作らない。アスファルトで繋がない。あるものを見つけ出して、繋ぎ直す。言うのは簡単ですが、実際には、消えかけた古道を探し当て、藪をかき分け、時には軍の巡回路のような場所も、文字通り“歩ける道”へと変えていく作業になります。
ただ、本当に難しかったのは、道そのものより、地元の人たちとの交渉でした。
済州島には、1947年から1954年にかけての四・三の記憶があります。外から来た人間への警戒心は、理屈ではなく、体に染みついたものとして残っている。そんな土地で、見ず知らずのハイカーがみかん畑のきわを歩くなんて、受け入れられない——そう言われるのは当然でした。
「あいつら、絶対みかんを盗むぞ」。
追い払われ、怒鳴られ、それでも話し合いを重ねていく。最後には、こんな約束までして道を通したと言います。
「もしハイカーがみかんを一つでも盗んだら、私が弁償します。そして、そのルートは閉鎖します」
そして始まった道で、みかんは盗まれませんでした。むしろ、都会から来た人たちが黙々と歩き、畑に手を出さず、挨拶をして通り過ぎる。その積み重ねが、島の側の緊張を少しずつほどいていったんです。
その「ほどけ方」が、いちばん痛快な形で現れているのが、ルート8です。ここは、巨大リゾート群のど真ん中を抜けるコース。ホテルが囲い込んだ海沿いの庭を、オルレは迂回しませんでした。海岸線は、五つ星ホテルのものじゃない。みんなのものだ、と。
世論を味方につけ、庭園の中を通り抜ける権利を勝ち取った結果、今ここでは、テラスでバスローブ姿の宿泊客がカクテルを傾けるすぐ脇を、ハイカーが歩いていきます。完璧に剪定されたヤシの木には、青とオレンジのリボンが結ばれていて、海風にパタパタと揺れている。
あれは、可愛らしい目印というより、「ここは閉じない」という合図なんです。
