北村の細い坂を上ると、すぐに二つの顔が見えるんですよね。ひとつは、扉が半開きでスリッパが玄関に並び、宅配の段ボールが置かれている家。窓の隙間から台所の音や誰かの話し声が聞こえる。生活の痕跡がそのまま路地に落ちている、って感じです。
もうひとつは、ロープで入れないように区切られ、解説板が立っている家。床に触れないでくださいという注意書きが目立ち、室内は似た配置で整えられている——撮影用の照明が当たっていることさえあるんです。どちらもハノクの形をしているのに、見えるものがまるで違いますよね。
この差は、保存にかかる「圧力」の種類が違うからなんです。実は、京都の町屋保存みたいに条例や景観規制が強く働く場所では、上からのルールが外観や室礼を均質にする圧力になります。一方、ブクチョンでは住民の暮らし、商い、観光といった現場からの要求が強くて、建物は使われながら変わっていく。だからここで見える保存は「使われる保存」って感じになるわけですよね。
配達の段ボールや玄関先の靴の列は、ただの雑然ではないんです。そこに暮らす人、あるいはゲストを受け入れるビジネスが日常的に機能している証拠なんですよ。逆にロープと解説板、均一化した室礼が増えている場所は、保存が展示化へ向かっているサインです。重要なのは「どちらが本物か」という二元論じゃなくて、どの圧力がその場所を支配しているかで街の表情が変わるという点なんです。
例えば益善洞(イクソンドン)では、この違いが凝縮されている感じです。細い路地に入ると、片側はハノクを改装したカフェで扉が開き、メニューが外にぶら下がっている。店の裏には配達用の段ボールが積まれ、従業員が出入りする。隣には観光客向けに整えられた店舗があって、案内板やロープが置かれている。形は同じでも、使い方が全く違うんですよね。
そういう手がかりは、街の歴史だけでなく現在の暮らし方を映します。配達の段ボールや靴の並びは、そこに生活が続いている証拠なんです。ロープや解説板ばかりの場所は、展示のために整えられているというわけですよね。こうした違いを読むと、街の圧力の向きや商いのあり方が見えてくるでしょう。北村の路地には、そういう違いが顕著に出ていますよ。
