万丈窟(만장굴/Manjanggul)の入口に立つと、まず空気の密度が違うんですよね。ひんやりしていて、光が奥へと細長く伸びていく感じがある。歩き出すとすぐに足元の表情が少しずつ変わっていくんです。
入口近くは、なめらかな黒い流線が床を覆っている。触るとツルリとした面が残っていて、まるで溶岩が流れていった直後を切り取ったみたいな場所です。さらに進むと、床に段差ができて、溶岩が高かった「跡」がベンチのように残っている。天井には小さな溶岩の滴がぶら下がっていて、それが一方向を向いて固まっているのが分かる。もっと奥へ行くと、天井が抜けて大きな空間になり、崩れた岩がゴロゴロしている場所に出る。こうした変化が一本道に沿って連続して並んでいるんですよ。
これが何故かというと、万丈窟はほぼ1キロにわたる連続した溶岩管で、溶岩の「動き」がそのまま空間に残っているからなんです。溶岩は表面から冷えて薄い殻を作り、内部はまだ熱いまま流れ続けてチューブ状になる。流れの速度や量が変わると、溶岩の高さが変わって段差ができ、滴が天井に残り、あるいは流れが引いた後に天井が落ちる。管が長ければ長いほど、こうした局面が順序よく並ぶので、歩くことで時間の変化がそのまま読めるというわけです。
歩きながらだと、火山の「仕事」が映画のように見えてくるんですよ。入口付近のスムーズな床は高速で流れた瞬間、段差の場所は流れが勢いを失って積み上がった瞬間、崩落しているところは流れが引いたあとに起きた出来事。天井の小さな溶岩滴は、流れの向きを指し示す矢印みたいになっている。光を当てると壁の薄い縞が連続して見えて、時間の帯が横に引かれているのが分かるんです。
一方で、鳴沢氷穴や富岳風穴は「点景」が中心なんですよね。短い区間に氷の柱や天井の結晶、狭い通路のドラマがぎゅっと詰まっていて、訪れる人はその一枚絵を凝視する。照明の作り方も違って、近景を強調する光が多いんです。結果として、写真の作り方や歩き方が変わるのが面白い。万丈では横に広がる流れを意識して縦位置で全体を入れる人が目立つし、富士周辺ではアップで模様を切り取る撮り方が多い—って感じなんです。
服装の傾向まで変わって見えますよね。万丈だと長い距離を歩きながら変化を追う人が多くて、薄手のジャケットで歩き回る雰囲気。鳴沢や富岳は短時間で場面を撮って戻ることが多く、入口付近でコートを脱がない人が目立つ、なんていう観察ができるんです。
この「時間が空間に開く」感覚は他でも出会えます。例えばハワイの長い溶岩トンネルや、海岸沿いに残る連続した溶岩流の縞を横に歩くと、同じように出来事の順序が目に入ってくるんですよ。逆に、短く切り取られた洞窟では一つ一つの場面をじっくり見る観察になるでしょう。
大事なのは、同じ「洞窟」でも規模が違うと読む方角が変わることなんです。万丈は長い映画みたいに時間を追う場所で、鳴沢・富岳は強い一枚写真のような点景を見せるんですよね。最後に、洞窟の中を歩くとき、どちらの物語が進行しているかを感じると、ずっと面白くなりますよ。
